知財高裁令和7年8月13日決定(令和7年(ラ)第10003号)
1.事件の概要
本事件は、抗告人(原審債権者:サムスン バイオエピス カンパニー)が本件特許権(本件特許権1:特許第6855480号、及び、本件特許権2:特許第7233754号)の特許権者である被抗告人(原審債務者:リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド)に対し、被抗告人が厚生労働省(厚労省)及び独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA。以下、厚労省と併せて「厚労省等」という。)に対して抗告人が債務者製品のバイオ後続品である債権者製品を製造販売する行為が本件特許権を侵害する旨を告知することは、不正競争防止法(不競法)2条1項21号所定の不正競争に当たるとし、同法3条1項に基づく同告知行為の差止請求権を被保全権利として、同告知行為を差し止める仮処分命令の申立てをした事案である。
原審は、被抗告人による厚労省等に対する情報提供は、パテントリンケージ制度に基づく医薬品特許情報提供の趣旨に照らして相当性を有するものと認められるとして抗告人の申立てを却下したため、抗告人がこれを不服として本件抗告をした。
2.原審の概要
原審では、本件特許権を有する債務者が厚労省等に対し、債権者が債務者製品のバイオ後続品である債権者製品をその添付文書に「中心窩下脈絡膜新生血管を伴う加齢黄斑変性」を適応症と記載して製造販売することが本件特許権を侵害する旨の告知は正当な行為として違法性が阻却されるから、不競法2条1項21号所定の不正競争に当たるといえず、また他に債務者の不正競争によって債権者の営業上の利益を侵害されるおそれがあるとはいえないし、保全の必要性があるともいえないとして、原審債権者の申立てを却下した。これに対し、原審債権者が知財高裁に抗告した。
3.本件特許発明
(1)本件特許権1
本件特許権1の特許請求範囲の請求項1は、次のとおりである。
【請求項1】
黄斑変性症患者の処置のための薬剤の製造における血管内皮成長因子(VEGF)阻害剤の使用であって、前記患者は、以前にVEGF阻害剤を約1年間投与されており、前記患者から得られるDNA試料で遺伝子型アッセイを行うか行ったことにより決定される1つ以上の遺伝子変異型を前記患者が有しており、前記1つ以上の遺伝子変異型は、rs2056688、rs5962084、rs5962087、rs5915722、rs5962095、rs2106124、rs1879796、rs12148845、rs12148100、rs17482885及びrs17629019から構成される群から選択される一塩基多型である、前記使用。
なお、請求項2ないし9はいずれも請求項1の従属項である。
(2)本件特許権2
本件特許権2の特許請求の範囲の請求項1は、次のとおりである。
【請求項1】
黄斑変性症患者の処置のための薬剤の製造におけるアフリベルセプトの使用であって、前記患者は、以前にアフリベルセプトを約1年間投与されており、前記患者は、rs2056688、rs5962084、rs5962087、rs5915722、rs5962095、rs2106124、rs1879796、rs12148845、rs12148100、rs17482885及びrs17629019から構成される群から選択される1つ以上の一塩基多型を有する、前記使用。
4.債務者(被抗告人)製品の製造販売等
債務者(被抗告人)は平成24年11月、「アイリーア硝子体内注射液40mg/mL」の販売を開始した。債務者製品の添付文書には製品の効能として次の項目が記載されている。
・ 効能又は効果 ○中心窩下脈絡膜新生血管を伴う加齢黄斑変性
5.知財高裁の判断
(1)不正競争法2条1項21号について
不競法は、営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提に、経済活動を行う事業者間の競争が自由競争の範囲を逸脱して濫用的に行われ、あるいは、社会全体の公正な競争秩序を破壊するものである場合に、これを不正競争として防止しようとするものであることに照らすと、不競法2条1項21号にいう「営業上の信用」とは、取引社会における事業者の経済的価値に対する社会的評価であって、当該事業者と取引を行うかの意思決定に影響を与え得るものをいうと解されると判断した。
これに対し、医薬品の製造販売の承認は、厚生労働大臣が、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保並びにこれらの使用による保健衛生上の危害の発生及び拡大の防止のために必要な規制として、薬機法により与えられた権限と責任に基づいてする行政処分であって、自由競争が行われる取引社会における取引とは明らかに性質が異なる。
そして、厚労省等が、後発医薬品(バイオ後続品を含む。)の承認審査に当たり、既承認の先発医薬品(先行バイオ医薬品を含む。)と後発医薬品との特許抵触の有無を確認するため、先発医薬品の有効成分に係る物質特許又は用途特許の特許権者等(先発医薬品の特許権者等)に対して、医薬品特許情報報告票をPMDAに提出するよう求めるほか、具体的な承認審査の場面において、必要に応じて、先発医薬品の特許権者等に補足説明を求めることは、厚生労働大臣がその権限を適切に行使する前提としての行政処分に先立つ情報収集行為である。そこでは、厚労省等において、後発医薬品の申請者の経済的価値に対する社会的評価を形成することが想定されているとはうかがわれない。また、厚生労働大臣は、後発医薬品の承認審査において、先発医薬品の特許権者等からの提供情報だけでなく、諸般の事情を総合考慮し、自らの権限と責任においてその判断をするものである上に、先発医薬品の特許権者等から提供される情報は一般に公開しないとされているのであるから、同情報が市場に伝ぱして取引社会における申請者の経済的価値に関する社会的評価が低下するおそれがあるということもできない。
以上によると、先発医薬品の特許権者等が、厚労省等に対し、後発医薬品の製造販売等が特許権を侵害する旨の情報提供をすることは、不競法2条1項21号の「他人の営業上の信用を害する虚偽の事実を告知」することには当たらないと解するのが相当である。
従って、被抗告人の行為は、不競法2条1項21号の不正競争に当たらないから、抗告人が、同法3条1項に基づく差止請求権を有するということもできない、と判示した。
(2)特許権侵害の告知について
取引社会における公正な競争秩序を保護するための不競法の規律を、行政処分に先立つ情報収集手続にまで押し及ぼすことは、不競法が予定するところではないというべきである。そして、後発医薬品の承認審査に当たり、厚労省等が、後発医薬品の申請者の経済的価値に対する社会的評価を形成することが想定されているとはうかがわれず、また、先発医薬品の特許権者等から厚労省等に対して提供される情報は一般に公開しないとされていることなどからして、同情報の提供をもって、申請者の経済的価値に関する社会的評価が低下するおそれがあるともいえないから抗告人の主張は採用することができないと判示した。
6.コメント
本件は、特許権者である先発医薬品製造会社が、後発医薬品製造会社の製造するバイオ後続品の添付文書の中に適応症として、「中心窩下脈絡膜新生血管を伴う加齢黄斑変性」と記載してバイオ後続品を販売することは特許侵害であるとして厚労省等に告知した。これに対し、不競法2条1項21号の不正競争に当たるとして、後発医薬品製造会社が先発医薬品製造会社を訴えたものである。
本決定では、パテントリンケージ制度のもとで、医薬品の製造販売の承認は厚生労働大臣が薬機法により与えられた権限と責任に基づいてする行政処分であって、厚労省等は既承認の先発医薬品と後発医薬品との特許抵触の有無を確認するため、特許権者等に対して、医薬品特許情報報告票をPMDAに提出するよう求めるほか、必要に応じて先発医薬品の特許権者等に補足説明を求めることは行政処分に先立つ情報収集行為である。そこでは後発医薬品の申請者の経済的価値に対する社会的評価を形成することは想定されない。また、同情報が市場に伝ぱして取引社会における申請者の経済的価値に関する社会的評価が低下するおそれがあるということもできない。これにより、後発医薬品の製造販売等が特許権を侵害する旨の情報提供をすることは、不競法2条1項21号の「他人の営業上の信用を害する虚偽の事実を告知」することには当たらないと解するのが相当である、と判示している。
医薬品の特許侵害の有無については、行政である厚労省ではなく司法である裁判所が行うべきであるという意見はあるものの、本件は特許侵害の有無を争っているのではなく、特許を侵害しているという告知の是非を争っているものである。そのうえで、不競法は取引社会における公正な競争秩序を保護するためのものであって、不競法の規律を行政処分に先立つ情報収集手続にまで押し及ぼすことは不競法が予定するところではないと判示している点は、行政の円滑な実施の観点から、妥当な判断であるといえる。とくに、行政手続における特許侵害の告知について、不競法2条1項21号の射程から外れることを示した点は、今後の行政手続の実務において重要である。
一方、パテントリンケージ制度に関しては、東京地決令和6年10月28日(令和6年(ヨ)第30029号)において、本件債務者の関連会社と本件債権者間で同様に不正競争行為(不競法2条1項21号)が争われた事例がある。この裁判例では、関連会社が厚労省に対し、関連会社の医薬品のバイオ後続品を製造販売する行為が関連会社の特許権を侵害する旨の公知を行ったことが、不競法2条1項21号所定の不正競争に当たるとして被保全権利の差止めの仮処分を求めたものであるが、裁判所では、債権者製品が関連会社の特許を侵害しているとして関連会社が厚労省に情報提供を行った行為は直ちに違法となるものではない、と判断している。
ただし、先発医薬品に係る特許権者等がパテントリンケージにおいて先発医薬品に係る特許と後発医薬品との特許抵触がある旨の虚偽の回答をする行為が、パテントリンケージの趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる特段の事情がある場合には、競争関係にある後発医薬品の製造販売承認を申請する者の営業上の信用を害する虚偽の事実を告知するものとして、不競法2条1項21号に掲げる不正競争に該当すると解するのが相当であるとも判示している。
これらの判決より、後発医薬品の製造販売等が特許権を侵害する旨の情報提供を行うことは、それだけで不競法に抵触するものではないが、パテントリンケージの趣旨目的に十分に沿った内容であることが求められており、今後とも十分な対応が必要であると考えられる。
(加藤 浩)
知財高裁HP:令和7年(ラ)第10003号判決文